時には、がっつり

ふだんはおいしいものを少しずつ派だけど…

渚の院(伊勢物語)もっと深くへ !

 伊勢物語の成立】

 現在、私たちが小説や評論とよんでいるものが、昔から存在していたわけではない事情は、『かぐや姫のおいたち(竹取物語) もっと深くへ! 』で少し詳しく書きました。

 

 平安時代の初期(1200年ほど前)に、漢字を元にしてひらがな・カタカナが発明され、そうして初めて、私たちが日常使っている言葉で、心情表現や情景描写ができるようになっていったのです。このようにして、かな文字で書かれる物語という新しい文学に発展していきました。

 文学史的には、こうして、架空の人物や事件を題材にした〈作り物語〉(「竹取物語」など)と、当時の貴族社会で語られていた歌の詠まれた背景についての話を文字化した〈歌物語〉(「伊勢物語」など)の二つが成立したとされています。

 

 「伊勢物語」は現在残っている最古の歌物語です。初期の日本語散文らしさを感じさせる、飾り気がなく初々しく抒情的な文章で書かれています。

 初め在原業平の家集を母体として原型ができ、その後増補を重ねて、今日の形になったようです。

 在原業平になぞえられる主人公「昔男」の生涯が、一代記風にまとめられています。高貴な出自で、容貌美しく、色好みの評判高く、歌の才能に恵まれた人物の元服から死までのエピソード集。ただし、業平とは考えられない男性が主人公の場合もあります。

 

 

 

 

 

惟喬親王業平

 惟喬親王は55代文徳天皇の長子でしたが、母親が紀一族で政治力がなく皇太子になかなか指名されませんでした文徳天皇自身は惟喬親王を後継者にしたかったようですが、時の権力者、妃、藤原良房の娘である藤原明子(ふじはらのあきらけいこ)に遠慮していました。 明子に男の子が生まれると第4皇子であるにもかかわらず生後9ヶ月後に皇太子、つまり、次代の天皇の地位につきました。この方が惟仁(これひと)親王です。文徳天皇が31才で亡くなると、9才の惟仁親王天皇に即位させました。清和天皇です。そして藤原良房は歴史上最初の人臣としての摂政となりました。858年のことです。


 惟喬親王の母静子と在原業平の妻が叔母・姪の関係もあつて、業平は惟喬親上の側近中の側近であつたようです。惟喬親王は、業平と交野が原の別邸“渚の院”(現在の京阪本線 御殿山の近辺)で狩りをしたり歌詠みをして気をまぎらせるような暮らし方をしていました。この段はそんな春の一日の、君臣こころを通わせるようすが描かれています。この時交わされた絶唱二首。

 

世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

 

散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべし

 

 次の八十三段(小野の雪)で、この八十二段(渚の院)とクロスフェードするかのような、惟喬親王と業平の春の一日の挿話に続いて、惟喬親王が急に出家したことが述べられます。正月、業平は親王にあいさつに訪れます。水無瀬の離宮の観桜の酒宴と対照的な、比叡山のふもとにある雪深い小野の里に庵室はあります。親王の不運を悲嘆する次の歌も、現代の私たちの心を打ちます。

 

忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪踏み分けて君を見むとは

 

 歌物語は、それぞれの歌が詠まれた背景や事情を語る歌語りを起源とすると言われています。優れた歌は、その歌の背景となる物語を想像させ紡がせる強い力を持つものですが、この二つの段もその好例ではないでしょうか。


 

 

                                     渚の院(伊勢物語)問題 へ

 

 

【筋トレ国語~「渚の院」例解】

 問1 係助「なむ」強意。 「な」は完了(強意)の助動詞「ぬ」の未然形、「む」は意志の助動詞「む」の終止形。 「な」は完了(強意)の助動詞「ぬ」の未然形、「む」は推量の助動詞「む」の終止形。 他への願望(誂え)終助詞。 …他への願望(誂え)終助詞。

 

問2 サ行変格活用の動詞「す」未然形。 過去の助動詞「き」の未然形。 使役の助動詞「す」の連用形。 尊敬の助動詞「す」の連用形。

 

問3 この世に桜があるから、春になると咲くのを待ってそわそわしたり、散りはしないかと雨や風に気をもんだり心落ち着かないという事実に対して、桜がなければ穏やかな気持ちでいられるだろうにと想像する言い方。

 (散る桜を称賛する気持を逆説的に表現した歌となる。)

問4 A歌で否定的に詠った桜を逆に取って、惜しまれながら潔く散るからこそ桜は美しいという主張になっている。

 

問5 狩りをして今日一日を暮らしましたが、今夜は機(はた)を織る女に女に宿を借りることにしましょう。

 (「天の川」というのだから織女がいるのだろう、その織女に宿を借ろうというわけ。)

 

問6 織女は、一年に一度おいでになるご主人の彦星を待っているので、あなたを泊めることはないということ。

 

問7 まだまだ満ち足りた感じがしないのに、もう、まだこんなにはやくなのに月が隠れるのだなあ、そこに姿を隠そうとしているやまのはが逃げて入れないでいてくれないないかなあ。

 (「月」が親王の比喩。まだまだこれからというのにもうおやすみになるとは残念ですという気持ち。)

 

問8 (山の端逃げてなどとおっしゃるが、いっそのこと)みな一様に峰も平らになってしまいたいものだ。そもそも山の端そのものがなかったら、月も姿を隠したくても隠しようもないということ。

 (峰も平らになれと言うのが無理なら、山の端に逃げて入れるななどというのも無理というもの。)

 

                                      渚の院(伊勢物語)問題 へ

 

 

渚の院(伊勢物語)現代語訳 へ

 

高校国語学習支援サイト】向け

 

小野の雪(伊勢物語)もっと深くへ !

  伊勢物語の成立】

 現在、私たちが小説や評論とよんでいるものが、昔から存在していたわけではない事情は、『かぐや姫のおいたち(竹取物語) もっと深くへ! 』で少し詳しく書きました。

 

 平安時代の初期(1200年ほど前)に、漢字を元にしてひらがな・カタカナが発明され、そうして初めて、私たちが日常使っている言葉で、心情表現や情景描写ができるようになっていったのです。このようにして、かな文字で書かれる物語という新しい文学に発展していきました。

 文学史的には、こうして、架空の人物や事件を題材にした〈作り物語〉(「竹取物語」など)と、当時の貴族社会で語られていた歌の詠まれた背景についての話を文字化した〈歌物語〉(「伊勢物語」など)の二つが成立したとされています。

 

 「伊勢物語」は現在残っている最古の歌物語です。初期の日本語散文らしさを感じさせる、飾り気がなく初々しく抒情的な文章で書かれています。

 初め在原業平の家集を母体として原型ができ、その後増補を重ねて、今日の形になったようです。

 在原業平になぞえられる主人公「昔男」の生涯が、一代記風にまとめられています。高貴な出自で、容貌美しく、色好みの評判高く、歌の才能に恵まれた人物の元服から死までのエピソード集。ただし、業平とは考えられない男性が主人公の場合もある。

 

 

 

 

惟喬親王の境遇】

 惟喬親王について、Wikipediaに次のように書かれています。

 

 父・文徳天皇皇太子として第四皇子・惟仁親王(後の清和天皇)を立てた後、第一皇子の惟喬親王にも惟仁親王が「長壮(成人)」に達するまで皇位を継承させようとしたが、藤原良房の反対を危惧した源信の諫言により実現できなかったといわれている[2]。これは、惟喬親王の母が紀氏の出身で後ろ盾が弱く、一方惟仁親王の母が良房の娘・明子であったことによるものとされる。また、惟仁の成人後に惟喬が皇位を譲ったとしても、双方の子孫による両統迭立の可能性が生じ、奇しくも文徳天皇立太子する契機となった承和の変の再来を危惧したとも考えられる。

 

 藤原氏による栄華の独占、母方紀氏の勢力衰退によって即位がかなわなかったということになります。惟喬親王の父は文徳天皇でやんごとなき方であり、本文で「馬頭(うまのかみ)のおきな」と書かれている業平も祖父は平城天皇であり高貴な出自です。

 

 

 

【主従関係を越えた心のつながり】

 前半では、「狩り」から京の本邸まで送った馬の頭をなかなか帰してくださらず、「大御酒たまひ、禄たまはむ」として、少しでもそばにいさせようとなさる。親王の馬の頭に対する愛着の深さが語られている。

 後半、親王は思いがけなく出家なさってしまった。藤原氏の威力によって在俗の身でいられなかったことがほのめかされている。時は正月、都では優雅な儀式や行事に華やいだ気分があふれている。親王は第一皇子であり、本来ならばそのはなやぎの中にあられるはずのお方である。それが、こんな山里の深い雪の中に孤独な境遇で暮らしていらっしゃる。変転極まりない人生の悲哀や、藤原氏に栄華を独占される世の矛盾への慨嘆が、「忘れては夢かとぞ思ふ」にこめられている。

 親王は馬の頭を大切に思い頼りにもし、馬の頭も親王に忠節で大切に思い申し上げるという主従関係以上の心の深いところでつながっている

 他の段とは違った味わいの段と言える。

 

a.Q例解

1 秋の夜長と違い、春の夜は短いので寝るのを惜しんで春の一夜を過ごすと理解した。

  (馬の頭が早く帰りたいという意で春の短夜を詠んだ歌であるが、短か夜を惜しむものと解して夜明けまで付き合わせた。)

2 時は弥生

  前半は華やかな春の宴の場面、歌の背景ともなっている。後半は一転して、寒々とした雪深い小野の里。巧みな対照となっている。

 

筒井筒(伊勢物語)もっと深くへ !

  伊勢物語の成立】

 現在、私たちが小説や評論とよんでいるものが、昔から存在していたわけではない事情は、『かぐや姫のおいたち(竹取物語) もっと深くへ! 』で少し詳しく書きました。

 

 平安時代の初期(1200年ほど前)に、漢字を元にしてひらがな・カタカナが発明され、そうして初めて、私たちが日常使っている言葉で、心情表現や情景描写ができるようになっていったのです。このようにして、かな文字で書かれる物語という新しい文学に発展していきました。

 文学史的には、こうして、架空の人物や事件を題材にした〈作り物語〉(「竹取物語」など)と、当時の貴族社会で語られていた歌の詠まれた背景についての話を文字化した〈歌物語〉(「伊勢物語」など)の二つが成立したとされています。

 

 「伊勢物語」は現在残っている最古の歌物語です。初期の日本語散文らしさを感じさせる、飾り気がなく初々しく抒情的な文章で書かれています。

 初め在原業平の家集を母体として原型ができ、その後増補を重ねて、今日の形になったようです。

 在原業平になぞえられる主人公「昔男」の生涯が、一代記風にまとめられています。高貴な出自で、容貌美しく、色好みの評判高く、歌の才能に恵まれた人物の元服から死までのエピソード集。ただし、業平とは考えられない男性が主人公の場合もある。

 

【ある男と女の愛のてんまつ】

 ここで男は「田舎わたらひしけることの子」としてあり、出自から業平とは別人物。
 幼馴染がようやく結ばれた幸福な日ばかりが続くわけではない。他に女ができた男を心中では嫉妬しながらも、それを顔には出さず、じっと男を信頼し続ける女のもとに再び幸福が返ってくる。これに、男から愛想をつかされた河内の女の結末が対照されている。
 
 
【平安に生きた人を追体験してみる】
 
 「伊勢物語」は『みやび』の文学だと授業で教わったと思います。『みやび』は、平安貴族が尊んだ美的理念で、上品で優雅で風雅なさまのこと。この「筒井筒」を読むと身支度や作法という見た目だけではなく、心の働かせ方や持ちようまで含んでいたようです。

 このような古典作品を、たとえばフェミニズムのような現代のイデオロギーから読み解いても意味がないと思います。妻問い婚(通い婚、招婿婚とも言います)や一夫多妻が一般的だった、和歌が特別の意味や力を持っていた、そんに時代にできるだけ身を置いて物語を追体験してみることに意味があると思います。今現在の自分とはかなり異質な思考法や感受性を体験できます。当時の結婚についてもっと知りたい人は「清少納言」についての動画にリンクしてみてください(ただしこの動画、「入内」の読み方を間違えています。ジュダイが正しい。出題される可能性がありますので)。

 ちなみに、高安の女と同じような立場に置かれて書かれたのが、同じ平安時代「蜻蛉日記」 ととらえてもいいでしょう。当時の男女の関係や繊細複雑で高度な心理のひだがリアルに描かれています。

 世界には、現在でも一夫多妻制が普通の国など、私たちたとは異質な伝統・価値観・美的理念や思考法・感受性・行動原理を持つ人々が多く存在します。そして、民族や宗教や利権集団や国家をめぐる軋轢・対立・紛争・武力衝突・戦闘が日々続き、混沌に向っているように感じます。少し飛躍しますが、そんな現代を我々が生き抜いていく上でも、日本の古典文学だけではなく、時代や国や民族を超えて文学・映画・絵画・音楽を追体験することは有益なのではないでしょうか。

 

 

筒井筒 問題へ

 

a.Q解答例

A.夫はほかの女の所にいったのに、その夫のために身づくろいを忘れず、夜の山道を行く夫の無事を祈る姿に、妻のひたむきで純粋な愛に心打たれたから。

  (「かなし」には 胸が詰まるようになる感情で、「愛し」と「悲し」の2系列ある。)

B.高安の女がしだいにはしたない振る舞いを見せるようになったことに男は失望し、さらに、女の自己中心的で恨みがましい心根が嫌になったから。

  (河内の女は裕福な女、食事は侍女がよそおうもの。「君来むと」歌、男の身をあくまで思う妻とは対照的に自分中心ととらえた。)
 
 
 

 

 
 
 
 

高校国語学習支援サイト】向け

 

 

 

 

芥川(伊勢物語)もっと深くへ !

 伊勢物語の成立】

 現在、私たちが小説や評論とよんでいるものが、昔から存在していたわけではない事情は、『かぐや姫のおいたち(竹取物語) もっと深くへ! 』で少し詳しく書きました。

 

 平安時代の初期(1200年ほど前)に、漢字を元にしてひらがな・カタカナが発明され、そうして初めて、私たちが日常使っている言葉で、心情表現や情景描写ができるようになっていったのです。このようにして、かな文字で書かれる物語という新しい文学に発展していきました。

 文学史的には、こうして、架空の人物や事件を題材にした〈作り物語〉(「竹取物語」など)と、当時の貴族社会で語られていた歌の詠まれた背景についての話を文字化した〈歌物語〉(「伊勢物語」など)の二つが成立したとされています。

 

 「伊勢物語」は現在残っている最古の歌物語です。初期の日本語散文らしさを感じさせる、飾り気がなく初々しく抒情的な文章で書かれています。

 初め在原業平の家集を母体として原型ができ、その後増補を重ねて、今日の形になったようです。

 在原業平になぞえられる主人公「昔男」の生涯が、一代記風にまとめられています。高貴な出自で、容貌美しく、色好みの評判高く、歌の才能に恵まれた人物の元服から死までのエピソード集。ただし、業平とは考えられない男性が主人公の場合もある。

 

【はげしい恋路の結末】

 

 誰もが暗黙のうちに后がねの姫君と知っている姫君を、何年も口説き続けていた男は、やっとのことで盗み出して、夜中に逃げてきた。女と引き換えに他のすべてを捨てる覚悟をした男の行動であった。追手につかまらないように必死に逃げてゆく。

 川辺の草の上に一面に結んだ露がキラキラ光るのを女は見て、「あれは何?」と尋ねる。あんまりにのんきなことだが、彼女はこんな闇夜には外に出たことはないのだろう。見るものすべてが珍しくてならないのである。しかし先を急ぐ男には女の質問に答える余裕などない。夜は更けるし空模様も怪しい。やがて、雷鳴がとどろき、はげしく雨も降りだす。がらんとした蔵に、気の進まない女をなだめすかして押し入れ、男は戸口に控え、はやく夜が明けてほしいと思っているうちに、鬼が女を一口に食べてしまった。

 女は姿を消してしまったのだ。実は、女は心変わりをして蔵から出て行ってしまったのか?路上で泣いている女を見つけ兄国経が連れ戻した。

 翌朝、もぬけの殻の倉の奥を見た男はすべてを悟った。

 

白玉か何ぞと人の問ひし時露と答へて消えなましものを

 

 深く愛した女を得た高揚感から一気に絶望の淵に突き落とされた男。やり場のない激しい悔恨に地団太を踏んで泣かずにはいられなかった。

 

a.Q例解

1.邸外の、一面にきらめく夜の露を見ることなど初めて体験するような、深窓で大切に育てられた姫君。

 

2.(「女」の無垢な美しさを顧みるとともに、)わが身も「女」と一緒に消えてしまえばよかったのにと悲嘆し、後悔する心情。

 

月やあらぬ(伊勢物語)もっと深くへ !

 【日本語で書かれた歴史上初期の物語】

 現在、私たちが小説や評論とよんでいるものが、昔から存在していたわけではない事情は、『かぐや姫のおいたち(竹取物語) もっと深くへ! 』で少し詳しく書きました。

 平安時代の初期(1200年ほど前)に、漢字を元にしてひらがな・カタカナが発明され、そうして初めて、私たちが日常使っている言葉で、心情表現や情景描写ができるようになっていったのです。このようにして、かな文字で書かれる物語という新しい文学に発展していきました。

 文学史的には、こうして、架空の人物や事件を題材にした〈作り物語〉(「竹取物語」など)と、当時の貴族社会で語られていた歌の詠まれた背景についての話を文字化した〈歌物語〉(「伊勢物語」など)の二つが成立したとされています。

 

 「伊勢物語」は現在残っている最古の歌物語です。初期の日本語散文らしさを感じさせる、飾り気がなく初々しく抒情的な文章で書かれています。

 

 

 

【「男」そして「女」は誰か?】

 『伊勢物語』は、初め在原業平の家集を母体として原型ができ、その後何度か増補されて、今日の形になったようです。

 在原業平になぞえられる主人公「昔男」の生涯が、一代記風にまとめられています。高貴な出自で、容貌美しく、色好みの評判高く、歌の才能に恵まれた人物の元服から死までのエピソード集。ただし、業平とは考えられない男性が主人公の場合もある。

 

 女は、「ひんがしの五条」の「おほきさいの宮」の屋敷の西の対の屋に住む人、すなわち、藤原高子(たかいこ、こうし)であり、清和天皇の女御となり「二条后(にじょうのきさい)とわかるように書かれている。

 

 高子が入内する以前に業平と恋愛関係にあったと思われていたようだ。高子が姿を消したのは、后がね(后候補)の高子を業平から引き離すとも、入内したためとも解釈できる。悲劇の結末となった。

 

【「や」は疑問か? 反語か?】

 〈月や(昔の月)あらぬ〉と〈春や昔のはるならぬ〉が対句ととらえられる。

 また、「(係助)」は、

疑問⇒変わらないもの=自分

   変わったもの=月・春・女

反語⇒変わらないもの=月・春・自分

   変わったもの=

「疑問なのか、反語なのか?」、問題になってきた。反語は強い疑問でもあり、疑問と反語のグラデーションでどちらとでもとらえられる場合がある。上の二つを参考に味わってみてください。

 

a.Q例解

1) 初句および三句切れ。

2) 今、目にしている月、いや、それだけではなく、この春そのものが去年とはまったく別のものに見え、あの人を失った「我が身」だけが元のまま取り残されたようにと感じられている。

3) 2 5

 

高校国語学習支援サイト】向け

肝試し/道長の豪胆(大鏡)もっと深くへ !

【「大鏡」とは】

 摂関政治の絶頂期を過ぎたころ、過去を振り返る動きが起こり、〈歴史物語〉という新しい文学ジャンルが産まれました。

 それまで歴史は「日本書紀」のように漢文で書かれましたが、十一世紀中頃仮名で「栄華物語」が書かれました。続いて十二世紀に「大鏡」が書かれました。「栄花物語』は藤原道長賛美に終始していますが、「大鏡」は批判精神を交えながら、歴史の裏面まで迫る視点をも持ち、歴史物語の最高の傑作といえます。二人の二百歳近くの老人とその妻、それに若侍という登場人物との、雲林院の菩提講での会話を筆者が筆録しているというスタイルで書かれています。これも独創的な記述の仕方で、登場人物の言葉がその性格や場面に応じており、簡潔で躍動的、男性的な筆致と相まって、戯曲的効果を高めているものです。

 
 

 

 

 

藤原道長とは】

 織田信長豊臣秀吉は天下人(てんかびと)と呼ばれるが、藤原道長平安時代の天下人と呼んでよいような人物。兼家(室の一人に『蜻蛉日記』の作者藤原道綱母がいる)の五男。娘を次々と后に立て、外戚となって内覧・摂政・太政大臣を歴任、権勢を振るい、栄華をきわめた。「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と詠った。一条天皇の后となった娘の彰子に仕えたのが『源氏物語』を書いた紫式部である

 

 

道長の描き方】

 兄(道隆・道兼)二人と対比させ、道長の「心魂」がいかに優れていたかを説いている。

 兄二人がいかにも小心にびくびくしているのとは対照的に、道長は途中まで見届け役をつけるよう申し出たり、証拠を残すために小刀を拝借したりして余裕しゃくしゃくである。

 また、途中から逃げ帰った兄二人に対して、道長は平然として高御座の柱を削り取って帰ってくる。

 生霊や霊怪の存在を信じていた当時の人々にとって、道長の行動は驚くほど大胆なものと受け止められた。

 

【新しい男性像】

 このエピソードで、道長は物の怪など恐れることなく平然と沈着に行動する。ここでは、これまでの物語とは異なる理想の男性像が描かれていると言ってよい。学問や和歌の教養や楽器の演奏よりも、「心魂」に秀でる豪胆さ胆力のある人物を理想としている。

 

 この「大鏡」の作者は未詳でいろいろと推測されているようです。権力中枢やその周辺の人であることは間違いないのでは。藤原氏を中心とした権力闘争の実相を冷静に、しかも、いきいきと描きだしています。秀逸なストリー・テーラーだったようです。

 

a.Q例解

Q.1 将来偉くなるほどの人。(「さるべき」は、「そうなるはずの」の意の熟語、兄弟二人を超えて政権を掌握し、栄華を手に入れた天下人の若い日の出来事として語られている。10字以内という字数制限で書けること。)

Q.2 風変わりで物好きな点。(夏の雨降る闇夜に肝試しをさせるというようなことを思いつく花山天皇のご性格をどうとらえて10字以内でまとめるか考えます。)
 

Q3. 深夜、大極殿に行き、証拠の品まで持って平然と帰って来たこと。(30字)

 

 

高校国語学習支援サイト】向け

門出(更級日記)もっと深くへ ! 

更級日記」は、作者(菅原孝標の女)が、その晩年(50代前半)に、少女時代の回想で始まり、成長して宮仕えをし、結婚し、親しい人との死別など女性としてたどってきたさまざまな経験を記しています。

 

 上総(今の千葉県中央部)は、都人(みやこびと)にとって言葉も通じない、仏教も十分布教していないような文化程度が低い異国同然の東国の地。まず、そこで成長した人はさぞみすぼらしく無教養であっただろうと言う。

 物語にあこがれていて、姉・まま母から物語の断片を聞くにつけても、ますます読みたい気持ちがつのる。現代のようにアニメ・動画などの娯楽のない時代です。作者は薬師仏を作って、物語が手に入る都に帰れるよう祈ったかいがあり、十三歳の九月三日に門出する。門出の日、車に乗ろうとして車から空き家に薬師仏が見える。哀れで泣かれてしまった。

 

 

 

 単純ながら、息の長い文章がロマンティックな少女の、果てしなく続く夢幻的な心境を説得あるものとしているように思います。

 これから都(京都)へ旅の記録、すなわち、紀行文となりますが、それにしても作者の記憶力と想像力に驚嘆してしまいます。

 

 

a.Q例解

 1.物語がたくさんあるという都へ早く行かせて欲しいという、筆者の願いをかなえてくれた。

 2.(1) けむ  けり

   (2) わが思ふままに

 

高校国語学習支援サイト】向け