時には、がっつり

ふだんはおいしいものを少しずつ派だけど…

町小路の女/うつろひたる菊(蜻蛉日記)もっと深くへ !

 

【要約すると】

 夫がよその女にあてた手紙を見つけて疑ったが、やはり女の元へ通っていることがわかった。その後、私を訪ねてきた時に門を開けないでいると、その女のところへ行ってしまった。歌を詠んで送ったところ、無神経な手紙と歌が贈られてきて、本当に不愉快きわまりない。

 

【作者はどんな人か】

 女性には、現代のように正規の姓名がつけられなかった。清少納言紫式部も姓名ではなく、通称です。『蜻蛉日記』の作者は、藤原道綱の母親だったので藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)とよばれている。

 父親は地方官を歴任した、中流階級の娘。少女時代、和歌の素養、漢詩文の知識、琴・絵画・裁縫の技芸を培ったという。

 

【夫の藤原道兼はどんな人か】

 時の右大臣師輔の三男。藤原北流の嫡流トップ階級の貴族。作者と結婚する前に藤原中正の娘時姫という正妻がいて、道隆・道兼・道長・超子・詮子らを産み、将来男子は摂関家の後継に、女子は入内して女御となるなどして藤原摂関政治の隆盛期を支えることとなった。

 

【どういう夫婦関係か】

 平安貴族の結婚の形は現代の私たちとはとはまったく異なる招婿婚(しょうせいこん)。一夫多妻制で正妻は一人。

 道兼には妻が十人ほどいたらしい。作者は道綱を産むが、道兼との不和がもとでこころ安まる日々はないようであった。当時の一夫多妻のあり方や身分差を考えれば、二人の夫婦関係はむしろよいものであったといえる。しかし、作者は道兼の愛情を一途に求めようとしたところに作者の苦悩が続いたといえよう。

 

【どんな贈答歌となるのか】

 嘘を言って新しい妻(町小路の女)のところに行った道兼が、二・三日後の夜明け前頃に門をたたくが開けさせないでいると、またその妻のところへ戻っていた。翌朝、このままではおけないと、色あせた菊に添えてつけた歌。

 

 

嘆きつつひとりる夜のあくる間はいかに久しきものとかは知る

 

 道兼の返事にあった歌。

げにやげに冬の夜ならぬまきの戸も遅くあくるはわびしかりけり
 
 
 作者は、「あくる」という掛詞を使い、〈嘆きながらひとり寝をする夜が明けるまでの間は、どんなにつらいものか、あなたはお分かりにならないでしょうね。〉と、道兼がさっさと新しい妻の元へ行ってしまったことを非難する。
 それに対して、道兼の歌は、作者の嘆きを慰めるようなものではなく、戸を開けてもらえなかったわびしさを嘆く、作者にとって無神経なものだった。
 
 中流貴族の娘が、正妻もいる権勢家と結婚したのだから、複数の女性との関係は予想すべきであった。しかし、作者は道兼の愛情を一途に求める。
 
 
【表現史上の位置】
 
 「蜻蛉日記」は、女性が書いた最初の本格的な日記文学。内面に生起し起伏する名付けようのないものを言葉によって形象化して、内面世界を構築していこうとしたもいえよう。表現史的には、源氏物語」が書かれるのに不可欠であった作品と言われている。
 
 
 
【解答例】

advanced Q.1  兼家の浮気を今までは面と向かって責めたりしなかったが、今回は歌で強く責めようと、書き方もいつもより改まって書くことで効果を強めようとする気持ち。

advanced Q.2  自分のわびしさを主張して、作者の嘆きには素知らぬふりをしていること。兼家の心変わりを嘆く作者の歌に対して、兼家が軽くあしらうような返歌をしてきたこと。

 
 

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御前にて人々とも(枕草子)もっと深くへ !

 
 「枕草子」では読み取りが難しい章段です。ごく短く要約すると、
 
 きれいな紙を手に入れると落ち込んでいても気が晴れると、中宮様や女房たちの前で語っていた。その後、思い悩むことがあり実家に下がっていた時、中宮様が上質の紙二十包み送ってくださった。私ごとき一使用人が言ったことを覚えて下さっていたなんて、感激で心が震えた。その紙で草子など作っていたら気持ちが晴れてきた。
 
と言うことになります。
 しかし、この要約を読んで分かった気になるのは変。
 作者が語る世界を映像・音声、さらに、香りなど五感を働かせるようにして、1000年前の後宮に入り込み追体験するつもりで読んでみてください。
 清少納言のような女房にとっては雲の上の存在に等しい気高くも美しい中宮定子様をイメージすること、大和と唐の国の文化教養の裏づけ、高度で洗練された言葉や振る舞いの理解が必要とされます。
 
 
 時代は今から1000年ほど前、一般庶民と貴族たちの生活の違い、「二月つごもりころに」(ここからは~」</a>で述べています。この列島の人々は多くは竪穴式住居と変わらないところで雨露をしのぐような生活をしていたのに、後宮では浮世離れそのものといえる生活をしていたのですね。でも、高度な文化は、ベルサイユ宮廷の文化と同じように、冨と力と時間が産み出すもの。また、その文化が次第に下降してサブ・カルチャーとなり、普遍的なものとなっていくのは世界史的な真実でもあるのです。また、それは現代でも先進国と途上国の文化の問題でもあるのです。
 
 紙・莚(むしろ)について。そんなもので、なんで心が晴れたりするの…?と思いませんでしたか。紙も莚も貴重品、ましてや、上質なものはごく一部の人が利用できるもの。紙、現代でも高価で利用できない地域の人々が大勢います。莚や畳など今では私たちにとって平凡極まりないけど、畳を部屋に敷き詰めるなどは室町時代ころから、高位の僧や一部の支配者のみができるようになった…庶民ができるようになって100年も経ていないのでは?…もっとも、なぜだか今フローリングが好まれているようだけど…。
 
 
 
 1000年前、後宮中宮定子と女房たちがどんな会話を交わしていたのか、とてもおもしろい。中宮定子の、身近に仕える女房たちへの心遣い、周りを和やかな雰囲気にしようとする 、堅苦しくはないが繊細高度なことばに感嘆します。また、清少納言ーかわいがっていたとはいえ、一使用人ごとき者が言ったことを覚えてくださっただけではなく、病気をした折は、気のきいた言葉をそえて慰安の贈り物まで下さった…清少納言は心底感激しているのです。
 「枕草子」では、気高く、美しく、優美で、教養があるだけではなく、とても繊細で心優しい人であったと中宮定子をまるで菩薩様か何かのように尊敬・崇拝し、自慢するように書かれているのです。(2017/08/28)
 
 
 
 
a.Q 1 姨捨山の月姨捨山の月は、いったいどんな人が見たのだろうか。 
 
a.Q 2 わろかめれ/(この紙は)上等ではなさそうなので、寿命経も書けそうもないようだが。 

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平安女流~世界の文学史上特筆すべき存在

 今から1000年以上前に清少納言によって書かれた、「春は曙。」ではじまる随筆は日本人は誰でも知っている。この夏とそれに続く秋については、次のようなことが述べられている。

 

《 夏は夜がよい。月が出ている夜はもちろんのこと、(月が出ていない)闇夜もまた、蛍が多く飛び交っている光景がよい。またたった一匹や二匹が、かすかに光って飛んでいるのもよい。雨が降るのもおもむきがあってよい。

 秋は夕暮れがよい。夕日が山の端にとても近くなっているときに、烏(からす)が寝床へ帰ろうとして、三羽四羽、二羽三羽と飛び急いでいくのまでしみじみしたおもむきがある。ましてや雁などが隊列を組んで飛んでいるのが、ごく小さく見えるのは、とてもおもむきがあってよい。日が落ちてから聞こえてくる、風の音や虫の鳴く音などは、言いようもなくなくすばらしい。》

 

 清少納言があげた光景は、近代化や都市化によって失われたものも多いが、それぞれの光景が鮮やかに思い浮かび、また、不思議となつかしい気持ちにもなる。

世界史上女流の文学者は、ギリシャ時代にサッフォーという詩人が知られるが、以降「古代・中世を通してみるべき女流作家は出現せず」、19世紀になって、イギリスでブロンテ姉妹や G.エリオットらの小説家が登場することになる。『ブルタニカ国際大百科事典』で「日本の平安時代に『源氏物語』の紫式部をはじめ,清少納言和泉式部そのほかの偉大な才女が輩出したことは特筆すべき文学現象である。」とされている。

 

 



 

【日本語教室会報用原稿・一部改変 2020.8.30】

 

 

 

インターネットは何を変えたのか(黒崎政男) もっと深くへ !

 

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① まず、印刷技術が成立する以前。書物が手書きで書かれていた時代

  著者は『「血をもって」全身全霊で』書いたのであり、読者(僧侶や学者か)は「全身全霊で」読むことによってその「精神」を読む解くことができた。ニーチェはこれが真に書くことであり読むことであるとしたようです。

  

② 印刷技術の成立後の時代。少数者の著者が情報を発信し、多数の読者がそれを享受する時代となる。多数の読者を啓蒙し教化する、活字書物文化が発展する。ニーチェはこれを「書くことばかりか、考えることまで腐敗させる」ことになったと揶揄(ヤユ。からかうこと)した。真実を簡略化したり興味本位で低俗なものが書かれ読まれ、「精神そのものが悪臭を放つ」ということをいっているようです。以上はニーチェの論を筆者流にまとめたもの。

 

③ さらに新たな時代となる。ここからは筆者黒崎さんの論となる。インターネットの時代が到来した。誰もが著者となりうる。そのことで〈書く〉ことと〈読む〉ことの本質的な変化が起こった。三点にまとめます。

  ⅰ「情報発信と受信者」の問題は、プラス面とマイナス面双方で圧倒的な力を発揮している。

  ⅱインターネットとメディアでは情報総量が制限されたり、内容や質によって淘汰されるという力が働かない。

  ⅲプライベートとパブリックの境が解け落ち、何億ものとりとめもない思いや理解や誤解がネット上にあふれ、ひとたび検索の網にかかると強大な力を発揮することとなる。

 

 この文章の結論は、誰もが著者となるインターネットのこの時代、今度は何を腐敗させることになるのかという危惧を抱いているということになります。

 

 

 

 「評論~筋トレ国語式勉強法」に則れば、

 ・繰り返される語・語句、キー・ワードに着目⇒「著者」(誰もが著者になりうる時代)

 

 ・二項対立に着目

  【思い・一面的な思念・発想・プライベート=とりとめもない理解や誤解】

  と

  【思考・十分吟味された意見・発表・パブリック】

  の対立。

 

 ・結論は結末または冒頭に着目

   結末にある「腐敗」に着目できる。具体的には前段の結末にある、「とりとめもない思いや理解や誤解が…強大な力を発揮すること」を危惧するということになります。

 

 

 時代の転換期にはペシミスティックと逆にオポティミィスティックに思考する人に分かれるようです。評論になるのは前者が多いようです。教科書で取り上げてないなら分かりませんが、『世界中がハンバーガー』もそうでしたね。

 

 

 

 

 

 

 

名を聞くより(徒然草) もっと深くへ !

 

 

 この「名を聞くより」全文では、筆者は2つのことをメッセージとして発信していることになります。

 

 1つは、「イメージしていたもの(名)と実際(実)とでは違うことがよくある」ということ。

 そしてもう1つは、「今人がしゃべっていること、目に見えている物、自分の心の中で思うことは、初めてなはずなのに、昔こんな光景があった気がするなぁと思ってしまう」、つまり、既視感を覚えることが多々あるということ。既視感はフランス語のデジャヴで日本語として通用しています。

 

  現代の私たちが感じていること、感じているが気にとめないでやりすごしていることが、660年前、兼好によってすくい上げられているように思います。また同時に、あらためて私たちの心理が当時の人々のと変わりがないものだと感じさせられます。皆さんはどう思いましたか?

 

 

輝く日の宮(源氏物語/桐壺巻) もっと深くへ !

 

 

 桐壺の更衣とその母君の逝去、若宮の臣籍降下と語られてきた、桐壺の更衣にかかわる一連の事件は一段落しました。

  

 

 

  

 溺愛していた桐壺の更衣に先立たれ、帝は悲しみの淵に沈んでいました。そんな時、先の帝の第四皇女が桐壺の更衣に似ているという話を聞き、入内を懇望します。皇女の母君はしぶっていましたが、その母君も亡くなり、帝の懇望を受け入内なさいました。この方を藤壺の宮と申し上げます。

  

 

 

  

 宮は帝のご寵愛を受けますが、源氏の君もこの宮が亡き母君の面影に似ていると聞き、宮を慕わしく思います。帝のおとりなしで、源氏の君はますます宮に心を寄せるようになります。

 

 世人は、その美しさから、源氏の君を「光の君」、宮を「輝く日の宮」と並び称しました。十一歳の美少年と十六歳の美少女ということになります。

 源氏の君の宮への好意は、母を慕う気持ちと同時に、異性に対する思慕の情が秘められているようです。藤壺の宮は、父君桐壺の帝の正妻であり、継母であることを忘れてはいけません。

 この二人の男女がこれからどのような運命をたどることになるのか…好奇心を駆り立てるようにして、いったん筆がおかれます。

  

 

 

 

  

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絵仏師師良秀(宇治拾遺物語) もっと深くへ !

 

 

  このお話は今から800年ほど昔(鎌倉時代)に、言い伝えられてきた話を書きとめられたものだけど、当時の人たちがおもしろく興味深いと思っていたから言い伝えられ、しかも、書きとめられたわけですよね。800年前の日本人がどういう点を面白いと思ったんでしょう。

 知識を得て、想像力を働かせて、できうる限り800年前の日本人を追体験してみましょう。

 


 ここで話題にしている「良秀がよじり不動」が、当時の人たちにはありがたい仏画というだけではなく、抜きん出て迫力がありすばらしい絵であると広く知れ渡っていたと考えられます。でも、「良秀がよじり不動」て、現在残っていません。「不動明王」の絵であることは間違いないようです。

 「不動明王」とは、仏法を守護する五大明王の一つ。燃え盛る火炎を背負い悪魔を寄せ付けまいと立ちはだかる降魔〈ごうま〉の相を表現するもののようです。火炎のよじれ燃えるさまが超写実的に描かれていたのでしょうね。当時の誰もが知っているような評判高い仏画であることを、このお話の前提としてし理解する必要があります。

 


 我が家が燃えているのにうなずき笑っている良秀を見て、人々がいぶかしがる。すると良秀が言うーーー我が家が火事になったことで、火炎の描写法を悟ることができた。そして、優れた絵を描くことが出れば冨を得ることができ、家一軒燃えたことなどなんでもない。さらに、高い職能を持つ自分と凡人とは違うのだーーーと。ここに見られるのは、絵仏師として仏画に対する執心の強さと自負心=職人魂といってよいでしょう。


 

  当時の人々が、あの「良秀がよぢり不動」は、やはり常人とはかけ離れた良秀という職人だからこそ描くことができたのだろうと、感心もし納得もしたのでしょう。この常人とはかけ離れた良秀の言動が素朴だけど生き生きと語られているんですね。

 現代では職業による文化の違いはさほどなくなったが、でも、多くの人たちがサービス業やデスクワークに従事する現在でも、職人は独特の価値観や考え方や美意識を持っていることも事実。良秀はそんな職人の典型ともいえるんじゃないでしょうか。


 家の中に取り残された「妻子」はどうなるの…人命軽視ではないか…冷たい人だ…というような現代のパラダイムや関心の持ち方からでは語られていない。800年ほど前の人々が興味深く思うよう話が組み立てられているのでしょう。

 


 芥川龍之介がこの話を元ネタにして「地獄変」という小説を書いたことは教わりましたよね。生活の現実や倫理や教訓などにとらわれず、純粋に美を追求するものが芸術だという芸術至上主義を語るのにぴったりのお話。

 

 

  もとの良秀はちょっと違って、仏画を描いて生計を立てる職人のお話。ただ、生活のために仕事をするというのではなく、仏画に対して常人には理解できない並外れた執心を持つ職人ぶりと職人の論理に当時の人々は感心したとも言えるのでしょうか。

 

  

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