時には、がっつり

ふだんはおいしいものを少しずつ派だけど…

評論~筋トレ国語式勉強法

  

 中学国語とくらべ文章の難度がぐっと上がってきます。

 「読解力・国語力をつけるためにはどうすればいいの?」と訊かれますが、逆に訊きますが、「あなたは、教科書以外に、ふだん、新聞とか雑誌とか小説とか読んでますか?」「どうやったら早く走れるようになれます?」という質問の答えは、「走る訓練を普段に実践すれば早く走れるようになります。」と同じパターンとなります。
 しかし、「本をたくさん読みなさい」とか「問題集をやってみなさい。」などと言われますが、むやみにそうしても国語力や読解力はつくものではありません。それならどうすればよいのでしょうか?こうすれば簡単に読解力国語力がつくという方法がないことは言うまでもありません、オールマイティーをみせかける参考書や学習塾があるのは事実ですが。

【文章を正確に深く読むには?】

 〈評論〉を読む際は、漫然と、また、感覚的に読むのではなく、 次の観点から正確に深く読みとることを習慣にするようにします。このサイトで、それぞれの文章を着目すべき観点を指摘しながら解説します。

  ① 繰り返し使われている語・語句、キー・ワードに着目する。
  ② 指示語指示内容 をとらえて読む。
  ③ 言い換え (同じ内容の別表現)をとらえて読む。
  ④ 比喩比喩されること をとらえて読む。
  ⑤ 具体例 抽象文(主張)の対応関係を理解して読む。
  ⑥ 接続語(副詞や接続詞など)をとらえて読む。
  ⑦ 二項対立をとらえて読む。
  ⑧ 段落相互の関係 論の組み立てをとらえて読む。

  ⑨結論は結末または冒頭に着目する。

 また、 漢字や外来語、修辞法、慣用表現・故事成語も、軽視しないで身につけておきましょう。

【要約のトレーニングはとても有効。】

 文章全体の枝葉を払い落とし、できるだけ短く(200字以内とか)要約してみるトレーニングはとても有効です。正確に要約するには、今まで説明してきたことが血肉化していて可能になるのです。初めは時間がかかります。時間をだんだん限定して、トレーニングをしてみましょう。時間がないなら年数回でもいいでしょう。さらに、それを力があり信頼できる人(塾の講師・チューターとか、学校の国語の先生では気の毒かな、雑用に追われていて…)に添削してもらえたらラッキー。必ず読解力・作文力・思考力を手に入れることができます。国語が好きな教科になります。さらに、国語の勉強の次元を超えて、学習力・思考力・洞察力などのベースとなってさまざまな場面で力を発揮することになります。

 では、「失われた両腕」(清岡卓行)で具体的に理解していきましょう。

 「失われた両腕/手の変幻/ミロのヴィーナス」清岡卓行)をどう読めばいいのか?

【「失われた両腕/手の変幻/ミロのヴィーナス」(清岡卓行)本文】

 ミロのビーナスを眺めながら、a彼女 がこんなにも魅惑的であるためには、両腕を失っていなければならなかったのだと、僕は、ふと不思議な思いにとらわれたことがある。つまり、そこには、b 美術作品の運命という、制作者のあずかり知らぬ何物かも、微妙な協力をしているように思われてならなかったのである。
 パロス産の大理石でできている彼女は、十九世紀の初めごろ、メロス島でそこの農民により、思いがけなく発掘され、フランス人に買い取られて、パリのルーブル美術館に運ばれたと言われている。そのときc
彼女 は、その両腕を、故郷であるギリシアの海か陸のどこか、いわば生臭い秘密の場所にうまく忘れてきたのであった。いや、もっと的確に言うならば、d彼女 はその両腕を、自分の美しさのために、無意識的に隠してきたのであった。eよりよく国境を渡ってゆくために、そしてまた、よりよく時代を超えてゆくためにこのこと は、僕に、g特殊 からh 普遍への巧まざる跳躍 であるようにも思われるし、また、i 部分的な具象の放棄 による、j ある全体性への偶然の肉薄であるようにも思われる。
 僕はここで、逆説を弄しようとしているのではない。これは、僕の実感なのだ。ミロのビーナスは、言うまでもなく、高雅と豊満の驚くべき合致を示しているところの、いわば美というものの一つの典型であり、その顔にしろ、その胸から腹にかけてのうねりにしろ、あるいはその背中の広がりにしろ、どこを見つめていても、ほとんど飽きさせることのない均整の魔が、そこにはたたえられている。しかも、それらに比較して、ふと気づくならば、失われた両腕は、あるとらえがたいk
神秘的な雰囲気、いわばl生命の多様な可能性の夢 を、深々とたたえている のである。つまり、そこでは、大理石でできたm二本の美しい腕 が失われた代わりに、n存在すべき無数の美しい腕への暗示 という、不思議に心象的な表現が、思いがけなくもたらされたのである。それは、たしかに、半ばは偶然の生み出したものであろうが、なんというo微妙な全体性への羽ばたき であることだろうか。その雰囲気に、一度でも引きずり込まれたことがある人間は、そこに具体的な二本の腕が復活することを、ひそかに恐れるにちがいない。たとえ、それがどんなにみごとな二本の腕であるとしても。

 したがって、僕にとっては、ミロのビーナスの失われた両腕の復元案というものが、すべて、興ざめたもの、滑稽でグロテスクなものに思われてしかたがない。もちろん、そこには、失われた原形というものが客観的に推定されるはずであるから、すべての復元のための試みは正当であり、僕の困惑は勝手なものであることだろう。しかし、失われていることにひとたび心から感動した場合、もはや、それ以前の失われていない昔に感動することは、ほとんどできないのである。なぜなら、ここで問題となっていることは、表現における量の変化ではなくて、質の変化であるからだ。表現の次元そのものがすでに異なってしまっているとき、対象への愛と呼んでもいい感動が、どうして他の対象へさかのぼったりすることができるだろうか? 一方にあるのは、p
おびただしい夢をはらんでいる無であり、もう一方にあるのは、たとえそれがどんなにすばらしいものであろうとも、q限定されてあるところのなんらかの有 である。

【この文章は、結局何を言いたいのか?】

 この文章は、「結論を先に言うと」という常套句にならえば、 ミロのビーナスは両腕を失っているからこそ、無限の美を生命体のように生み出しているのであるというのが結論となります。文章の手練手管にたけた筆者清岡卓行さんは、多くの修辞、巧みな論理の組み立て、文章スキルを使って読者をその結論にまでいざない導いているのです。その意味で結論が重要というよりも、そこまでの文章の組み立てや展開を楽しむものと言ってもいいかもしれません。「楽しむ」といっても、少し高級な楽しみですが…!

 この文章は、特に次の観点を押さえて読むと正確な読みができます。。

【二項対立/言い換えをとらえて読み進める。】

 この文章は、上記の「⑦ 二項対立をとらえて読む。」ことが肝要。

  「g特殊」    ⇔「h普遍
  「i部分的な具象」⇔「jある全体性
           ⇔「k神秘的な雰囲気/生命の多様な可能性の夢
  「m二本の美しい腕」⇔「n存在すべき無数の美しい腕への暗示/o微妙な全体性
  「q限定されてあるところのなんらかの有」⇔「pおびただしい夢をはらんでいる無

 さらに、上の二項対立は、左項と右項の語句が下にたどると「③言い換え (同じ内容の別表現)をとらえて読む。」ことにもなります。

 こうして、《ミロのビーナスは両腕を失っているからこそ、無限の美を生命体のように生み出している》ということであるが、そのような言い方では収まり切れない、 筆者の考える独自の意味合いを表現しようとしているのです。すなわち、《無限の美を生命体のように生み出している》ということの独自の意味合いとは、〈美の普遍のありかた〉と言えるし、〈ある全体性への肉迫〉とも言えるし、〈神秘的な雰囲気/生命の多様な可能性の夢をたたえている〉とも言えるし、〈存在すべき無数の美しい腕への暗示、微妙な全体性へのはばたき〉とも言えるし、〈おびただしい夢をはらんでいる無〉とも言える、そのようなことであるということになります。 両腕を失っているヴィーナス像に魅了される、言葉にすることが難しいわけを、さまざまな言い方で表現しようとしているのです

【指示語をとらえて読み進める。】

 上記に「② 指示語指示内容 をとらえて読む。」とありました。 指示語の指示内容は、直前、その直前…とさかのぼり、「こと」などを補うなどして指示語に代入、文意が通るか確認。ただし、要約しなければならなかったり、指示内容が指示語の後にあることもあり、そのケースが出題されることも知っておいてください。

 この文章の「fこのこと 」は、前前文にさかのぼり「彼女はその両腕を、自分の美しさのために、無意識的に隠してきた(こと)」とすると文意が通じることとなり、さらにさかのぼると、冒頭の「両腕を失ってい(ること)」ともとらえられます。指示語をとらえて読み進めることは、文章を正確にかつ深く読むことの一つであり、テストで出題されるものでもあります。

【さまざまな修辞や表現の工夫を理解しながら読み進めよう。】

 acdの「彼女 」はミロのヴィーナスを人に見立てる擬人法修辞法 の一つ)。ここでは、「大理石でできている像」を親しみを持って指示しているのです。「b 美術作品の運命という、制作者のあずかり知らぬ何物かも、微妙な協力をしている」も擬人法が使われています。この後も多用されていますので、他の個所も意識して読み進めましょう。

 「eよりよく国境を渡ってゆくために、そしてまた、よりよく時代を超えてゆくために。」は前文と倒置修辞法 の一つ)になっていることに気づきましたか?「よりよく国境を渡ってゆくために、そしてまた、よりよく時代を超えてゆくために。」に特に着目させようとしているのです。他の個所にもありますので、気を付けて。


 また、アンダーラインを引いた次のような表現にも着目できます。

 「僕は、ふと不思議な思いにとらわれた」とは、どうしてそう思うのだろうか…?
 「美術作品の運命」とは、どんな運命なのだろう…?
 「よりよく国境を渡ってゆくために、そしてまた、よりよく時代を超えてゆくために」とは、どういうこと…?
 「生臭い秘密の場所」とは、どんな場所…?

 これらは、読者の思考を刺激したり、イメージをかきたてさせたりして、さらに読み進ませようとする力を持つ表現といえます。テストで「分かりやすく説明しなさい。」などと出題される表現でもあります。文章を書くプロ中のプロが書いた、高度で濃密な表現ともいえます。

【論理の組み立てをとらえよう。】

 第一段落は、タイトルをつければ「両腕が失われている美」。ここでは、言い換えや二項対立などを使って、 ミロのヴィナースは両腕を失っていることで、「存在すべき無数の美しい腕」を暗示することとなり、「魅惑的」なのだということが主張されています。

 第二段落は、タイトルをつければ「復元案の否定」。ここでは、「両腕の復元案」について、「すべて、興ざめたもの、滑稽でグロテスクなもの」と強く否定されている。その理由は、単に両腕のない状態からある状態への(「量」の)変化ではなく、「おびただしい夢をはらんでいる無」から「限定されてあるところのなんらかの有」への(「質」の)変化になるからであるという。そして、ここでは省略している第二段落後半の結末では、「もし、真の原形が発見され、そのことが、疑いようもなく僕に納得されたとしたら、僕は一種の怒りをもって、その真の原形を否認したいと思うだろう。まさに、芸術というものの名において。」と書かれている。 ミロのヴィナースは両腕を失っていることによって、「おびただしい夢をはらむ」こととなっており、同時に、本来、≪芸術とは限りなく想像力を書き立たせ、飛翔させるものだ 》という筆者の主張もなされている。

 さらに、ここでは省略した第三段落、タイトルをつければ「手の持つ象徴的な意味」。ここでは、失われているのが両腕であるからこそ、「生命の変幻自在な輝き」を放つことができているとされる。それは、 腕や手は、「世界との、他人との、あるいは自己との、千変万化する交渉の手段なのであ」り「そうした関係を媒介するもの、あるいは、その原則的な方式」であるから、腕や手(=「実体」)が「象徴」することを無限にイメージさせ続けることができるのだと主張される。このように、ミロのヴィーナスの両腕が失われていることについて考察しながら、同時に筆者の芸術観が語られているともいえます。

 こうして、ミロのビーナスは両腕失っているからこそ、無限の美を生命体のように生み出している》という主張の根拠と筆者の考える独自の意味合いが語られていることになります。

 この文章、高2以降に扱うのがふさわしい難度ではと思います。

【文章中の根拠に基づいて読み考える。】

 評論の読解は漫然と感覚的に読み進めるのではなく、 文章中に上記の①~⑨のような根拠に基づいて読みすすめることが大切です。そんな読み方と考え方を習慣づければ、少しずつ、ある時は、急速に読解する力がついてきます。さらに、テストで正解を導けるようになります。Let'try !

 

「失われた両腕/手の変幻/ミロのヴィーナス」テスト問題にリンクできます。

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