時には、がっつり

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帰京(土佐日記)seek deeply !

土佐日記」の冒頭(門出/馬のはなむけ)については、『門出(土佐日記) もっと深くへ ! 』で、その文学史的意味をふくめて書いていますので参照してみてください。

 

 

 

 

岡山県立岡山芳泉高等学校の美術部と放送文化部の共同制作の動画、すばらしいですね。

 

 

 

 土佐(高知)から京都、現在では車で数時間。楽しく快適にドライブできます。しかし、1100年ほど前の旅は、現在とは異質なものでした。

   

 

            時代は下って、鎌倉時代の船 

土佐日記」が書かれた時代、急峻な四国山地のため陸路で瀬戸内海側に出るのは不可。船旅をすることになります。でも、当時の船は、脆弱なつくり、大波に飲み込まれてしまったり、座礁して大破してしまう危険性にさらされていました。多くの泊りで天候をはかりながらの船旅でした。

 さらに、瀬戸内海を根城にした海賊に襲撃されるおそれもあります。しかも、貫之はそんな海賊を取り締まる側の国守をつとめていたので、恨みを買っていたとも考えられます。

 

  

 そんなわけで、ひとつ判断をまちがえればもろとも命さえ失ってしまうような旅であったわけです。55日間にわたる船旅だったとみられます。

  

 無事、都に帰り着いた安堵は一入(ひとしお)なものであったでしょう。「土佐日記」を旅程に沿って読み進めてくると、「京に入り立ちてうれし」には、万感の思いが込められていることがわかります。

  高鳴る気持ちをおさえながら、門を開けて自邸を目にします。

 

月明ければ、いとよくありさま見ゆ。聞きしよりまして、言ふなくぞこぼれ破れたる。家に預けたりつる人の心も、荒れたるなりけり。

 

深い失望と怒りがこみあげてきます。

信頼していたのに、それを裏切られたことを「家に預けたりつる人の心も、荒れたるなりけり」と言っているのでしょう。

 

しかし、この後、貫之の事を荒立てることをよしとしない、穏やかで賢明な人柄がしのばれます。

 

「中垣こそあれ、一つ家のやうなれば、望みて預かれるなり。」「さるは、たよりごとに、ものも絶えず得させたり。」「 今宵、かかること。」と、声高にものも言はせず。いとはつらく見ゆれど、こころざしはせむとす。

 

 

   

 後半は、庭木の松をめぐって書かれます。

 

池めいてくぼまり、水つける所あり。ほとりに松もありき。五年六年のうちに、千年や過ぎにけむ、かたへはなくなりにけり。今生ひたるぞ混じれる。

 

 池も、以前の面影が偲ばれないほど荒廃していることへの落胆を、皮肉を込めて書かれています。

 

 自然と土佐に赴任する前のことが数々と思い起こされる。なかでも、ここで生まれながら土佐で亡くなった娘のことが思われ、供に舟で帰った人々の子供たちが大騒ぎをしているのを見ると、一層悲しさがつのってくる。

  

生まれしも帰らぬものをわが宿に小松のあるを見るが悲しさ
 

 庭に生えている小松を目にすると、つい亡き女児のことが思い出され、悲しみがこみあげてくる。

  

見し人の松の千年に見ましかば遠く悲しき別れせましや

 

 あの子が松のように元気で丈夫な子であったら、あの遠い地で悲しい別れをしないでよかったのになあ。

 

 哀切さが、1100年後の現代の私たちの心にも響いてきます。

 

 

 日本語は本来無文字言語でした。日本語を表記するのに漢字の音を利用し、そして、漢字を応用してかなを発明し、さらに、漢字かな交じりで日本語の文字表現ができるようになった。それからおそらくニ三十年して、この「土佐日記」が書かれたようです。文字表現は、コミュニケーションとしての会話言語とは次元が異なるものです。漢字かな交じりの文字表現ができるようになった初期に、これほど高度で緻密で完成度の高い作品が書かれていることに驚かされます。

 

 

 

 

 

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